先日、テレビを見ていたらバレエダンサーの熊川哲也さんがこんなことを言っていました。
ほほぅ・・・
と思ったので、メモがわりに書きます。
「日本は特にバレエ、オペラ、クラッシック音楽は敷居が高いという。僕はバレエが高尚で何が悪いと思う。」
「敷居が低い、誰でも楽しめるものですよという興行主も許せない。」
「敷居が高くて何が悪い。」
「敷居を越えるのは個人の自由。敷居が高い、プライド・誇りがあるものを我々は提供している。そこに入る人は今は階級なんてないわけだから、皆平等なんだから。」
「だから僕はあえてバレエは高尚ですよ。敷居は高いですよと。それを超えるか超えないかは君達次第だからと。」
「その敷居を下げて、敷居が低いですよと言ったりするのは(バレエを積み上げてきた)先人に失礼な気がする。」
質問:「万人受けしなくてもいいと思っているのでは?」
「バレエは万人受けするものだと思っている。でも万人受けするために媚びへつらうことはしない。」
皆さん何を感じるでしょか?
比較するのは失礼かも知れませんが、設計事務所に依頼をすることは敷居が高いと思われています。私達はそれを覆したくて、よく
「敷居は高くないですよ。何でも相談してください。」
と言ったりします。
これは間違いなく本心なんですが、熊川さんの言葉が少し引っかかりました。
それで色々考えてみました。
設計事務所に依頼をするのは本当に敷居が高いことなのだろうか?と。
設計者(よく建築家といわれます)はいわゆる「先生」と呼ばれる職業のうちの一つです。
でも恐らく他の「先生」とは比較にならないぐらい儲かりません(苦笑)。
それは置いておいて、数多いる建築家の中で本当に「先生」と言われるような人は、極々一部です。
なのに何故敷居が高いと思われるのか?
今までこの業界が世間に対して情報を出してこなかったことが一番の原因だと思います。
また「敷居」には二つの「敷居」が混在してように思います。
一つは依頼主(施主)側が設定する敷居。もう一つは建築家が設定している敷居。
これは本来同じ場所にある「敷居」なのですが、認識の違いで違う場所にあるように思われているようです。
設計事務所に依頼する場合の敷居はどこにあるのか?
色々考えましたが、とある住まい手とメールをやり取りしている中で、(施主側が設定している敷居である)「依頼をする」という直接的な行為に関る部分に「高い敷居」があるわけではなく、その前段階にあるんだな。と思い至りました。
その住まい手からのメールには
「自由設計で家づくりができるなんてうらやましい・・・と周りに言われる。」
とありました。ああ、ここだと。
自由という言葉はこの国では簡単に使われますが、本来その裏には責任や義務が表裏一体で存在します。(この国ではそれが存在しないことがあるのが不思議ですが)
設計事務所と一緒に家づくりをするということは、たしかにそれ以外の選択肢と比較すると多くの「自由」が存在します。でもその一方でかなりの責任と義務を施主に強いることがあります。
我々設計事務所が情報等様々な要素を取捨選択し、優先順位をつけ、地ならしをするといっても、最終的な決断、そしてその決断にかかる責任は施主が負うことになります(その人達の家なのですから当然ですよね)。この責任が他の家づくり(家の取得といった方が適切かな)とは比較にならないぐらい多く、そして重いのが設計事務所との家づくりです。
(注:法律的なこと、安全に関ることなど建物本体に関る部分は我々専門家が責任を負います。誤解があるといけないので念のため)
これは家を「購入するもの」と考えている人たちには耐えられないものかもしれません。でも家を「つくるもの」だと考えている人たちには、大変だけれども意義深く、楽しいものだと感じられるのだと思います。
つまり何が言いたいのかというと、家を「購入するもの」と考えている人たちと、家を「つくるもの」だと考えている人たちとの境界にあるもの。それが設計事務所に依頼をする時に存在する「敷居」なのだと思うのです。
「購入派」には設計事務所との家づくりの間には超えがたい高い「敷居」(壁といっても過言ではないです)があり、「つくる派」にはステップ程度の「敷居」がある。
そのステップを越えるのは比較的簡単です。なぜならもう「つくる」と決断をしているわけですから。
でもそのステップをなかなか越えようとしてくれない。我々がステップ程度と感じている段差が、一般の方々には高い「敷居」と感じられてしまっている。何故か?
ステップの先にある景色が見難いからなんでしょうね。つまり設計事務所と一緒に家づくりをすいるということのイメージが湧かない。これは先述の通り情報提供不足が原因です。本当に業界全体で反省しなければいけません。
みなさん、みなさんの感じている高い「敷居」はステップ程度のものなんですよ。
確かに「敷居」存在しますが、越えようと思えば簡単に超えられます。いやもう超えている。「つくる派」の人たちにしてみれば。あとは声をかけるだけです。
超ド級の奥手である私からしてみれば、好意をよせている異性に話しかけることに比べれば、設計事務所に声をかけるなんて鼻くそです(爆笑)。
長々と書いて、まとめどころをつかめずにいますが、熊川さんの言葉からこんなことを思いました。と言いたいだけなんです。そして熊川さんの言葉の中にあった
「プライド・誇りがあるものを我々は提供している。」
という部分には激しく同意。
さてどうやって締めようか。
今まで、設計事務所に依頼をすることに高い「敷居」なんてないといってきましたが、これからは「ない」とは言わないようにします。
その「敷居」は確かにあります。
でもそれは依頼をするという行為にではなく、「購入する」か、「つくる」かという皆さんの決断のそばにあるのだと。
少しでも多くの人たちが、「敷居」を超え、「つくる派」になってくれるように頑張ります。
その方が絶対に生活は楽しくなり、街は美しくなると信じているから。