私は毎年最低2回は講評を書いている。まずは
アカデミーの自力建での各学生のプランについて。そして彼らが卒業する直前の課題研究の公表会での講評。いままで好き勝手仲間内であぁだのこぉだの言ってはいたが、文章にして講評するのはチト勝手が違う。ものすごいプレッシャーなのだ。
私が講評を書くときに注意していることは、自分が感じたことを素直に脚色しないで書くということ。もちろん誹謗中傷など書く気は毛頭ない。ただしこの「思ったことを素直に」というのが難しい。座右の銘が「肯定からは新しいものは生まれない」なんて考えなので、なかなか褒めることが出来ない。「おぉ!いいかも」と思ってもテキストにするとなんだかムズムズしてしまって結局うまくかけない。人を褒めるってホント難しい。よって私の講評は傍から見ると手厳しい内容になってしまうのだが、上記のような理由があってそんな内容になるのです。どうかご理解を。
講評をする側になって初めて気がつくことも多い。自分の意見・アイデアを発表するときは、そのことで一生懸命なのでなかなか分からないが、講評を書く側になってみるとプレゼンの仕方というものについて色々考えさせられる。また多くの発表者の意見が如何に独りよがりかということも。建築は個別で存在するわけではないので、この独りよがりという状態は非常にまずい。また課題研究も独りよがりになっては意味がない。特にアカデミーの課題研究の場合は、世間の人々に理解してもらい、認知してもらうことで初めて意味があるものなのだ。なので多くの大学の卒業研究のようになってもいけないし、限られた分野でのみ評価されるものであってもいけない。そのことを気づかせてくれるのが、外部の方の講評なのだ。
そんなことを私自身実感しているので、一見
好き勝手に書かせていただいている。後輩(年齢は上の方もいらっしゃいますが)のみんなにとって数%でも、私の講評が将来のためになってくれればと切に思う。
「意地の悪い先輩だ」とか「偉そうに」とか思われるんじゃないかとビクビクしながら、送信ボタンを押しているんです。来年もがんばって書くぞ!
明日は町並みゼミの準備で美濃へ行きます。ので更新はなしです。
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